あんじょうし歴史博物館にあんじょう松平家にかんする展示資料をみてきた。
〔2023年8月16日訪問〕
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三河一向一揆関係図
年表
- 鎌倉時代
- 南北朝時代~室町時代
- 室町時代~戦国時代
- 1467年、応仁の乱がはじまった
〔このころから真宗の道場が三河にひろがる〕 - 1476年、松平信光が安城城を落としたとされる
〔松平親忠より安城松平家ができた〕 - 1524年、このころ松平清康は岡崎城へ移ったとされる
- 1535年、松平清康が尾張国守山で家臣に切られて亡くなる
- 1540年、織田信秀が安城城を占拠した
- 1549年、松平広忠が暗殺され、松平武士団にうちわもめがおこる
本証寺では門徒連判状がつくられた
今川・松平軍が安城城をとりかえした - 1560年、桶狭間の戦いで織田信長が今川義元をやぶった
松平元康は今川をはなれて岡崎へかえった - 1563年、三河一向一揆がおこった
- 1573年、織田信長が室町幕府をほろぼした
- 1590年、豊臣秀吉が全国を統一した
徳川家康が関東に移封される
- 1467年、応仁の乱がはじまった
- 安土桃山時代
- 1600年、関ケ原の戦いで、家康が西軍をやぶった
安城松平家と安城城
- 安城松平家
- 安城城
- 安城城は、安城松平家4代清康が山中城(岡崎市)に居城を移すまでの4代およそ50年にわたり安城松平家の居城でした。1535年に清康が「守山崩れ」で亡くなった后、尾張の織田信秀と駿河の今川義元の力を借りた清康の子広忠との、安城城をめぐる「安城合戦」が10年近く繰り広げられます。その際、本多忠勝の祖父忠豊と父忠高が命を落とすなど、多くの犠牲を出すこととなりました。
- この長きにわたる戦の末、1549年今川氏は、信長の兄信広を捕らえ、安城城付近の「西野」で織田家の人質となっとった竹千代(家康)と人質交換を行なったと伝えられております。
- 1560年の桶狭間の戦い后に安城城は廃城になったとされます。現在本丸跡には大乗寺、二の丸跡には東尾八幡社があります。