あんじょう松平の資料

あんじょうし歴史博物館にあんじょう松平家にかんする展示資料をみてきた。

〔2023年8月16日訪問〕

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三河一向一揆関係図

2023.8.16 (1) あんじょうし歴史博物館 - 三河一向一揆関係図 1450-1310

家康がた
刈谷城水野氏、福釜城松平親俊、藤井城、岡崎城、上和田城大久保氏、土井城本多広孝、青野城松井忠次西尾城酒井正親、形原城、深溝城、竹谷城、五井城、長沢城
一揆がた
上野城酒井忠尚、佐々木上宮寺、桜井城松平家次野寺本証寺針崎勝鬘寺、土呂本宗寺、八ツ面城荒川義広、東条城吉良義昭、六栗城夏目吉信、大草城松平昌久

年表

2023.8.16 (3) あんじょうし歴史博物館 - 中世あんじょうの年表 2200-1000

安城松平家安城

2023.8.16 (4) あんじょうし歴史博物館 - あんじょう松平家 1360-2050

  • 安城松平家
    • 松平氏は15世紀初頭に現在の豊田市松平町で興ったとされております。1476年頃、松平宗家3代信光は自身が手に入れた安城城を、子である親忠に譲り渡します。これにより、松平親忠を初代とする安城松平家が始まりました。
    • 安城松平家は、2代長忠、3代信忠の代になると、各地に様々な家が分立する松平一族を代表する惣領的立場となりました。三河支配を進めたとされる4代清康の代には拠点を岡崎へと移し、安城松平家の血は清康の子広忠、そして家康へと受け継がれました。
  • 安城
    • 安城城は、安城松平家4代清康が山中城岡崎市)に居城を移すまでの4代およそ50年にわたり安城松平家の居城でした。1535年に清康が「守山崩れ」で亡くなった后、尾張織田信秀駿河今川義元の力を借りた清康の子広忠との、安城城をめぐる「安城合戦」が10年近く繰り広げられます。その際、本多忠勝の祖父忠豊と父忠高が命を落とすなど、多くの犠牲を出すこととなりました。
    • この長きにわたる戦の末、1549年今川氏は、信長の兄信広を捕らえ、安城城付近の「西野」で織田家の人質となっとった竹千代(家康)と人質交換を行なったと伝えられております。
    • 1560年の桶狭間の戦い后に安城城は廃城になったとされます。現在本丸跡には大乗寺、二の丸跡には東尾八幡社があります。